幼少期に海水浴を経験したことがない事が
心に引っかかている(トラウマ!?)
との記事がありました。
ここで自分の意見を述べると
世代間があるので
その方を否定してしまうことに
なるので、一先ず置いておきます^^;
人の気持ちにおける
「幸」か「不幸」の基準は
自分しかわかりません。
ましてやこの記事で述べている
収入格差による体験格差になると
ここでは相対的貧困でしょうね。
資本主義の国にいるので、
収入に差があるのは当然であり
可処分所得も個々で異なります。
極端な例ですが、
湘南の海に行ったことはあるが、
ハワイで海水浴をした事がないのは
不幸でしょうか?
おそらく学校のクラスの他全員が
ハワイの海水浴の経験をしていたら
行ったことがない自分はやっぱり
「不幸」なんでしょうね。
では、現代以前(昭和より前)はどうであったのか。
海水浴事態、裕福な家か海が徒歩などで行けるかたしか
経験していなっかたでしょう。
結論として
人は多数と比較して
自分の価値観と照らし合わせ
「幸せ」を知るのではないでしょうか。
自己の心の持ち用とは簡単ですが、
なかなか。。。
幸せを得るには
心を鍛錬すると同時に
お金を稼ぐ力をつけることでしょうか。